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―狂言は庶民の目線で現実の社会を描く、実にほのぼのとした古典芸能ですが、その始まりはいつごろなのでしょうか。
野村 狂言は能と一緒に台詞劇と歌舞音曲という別々の役割を、ひとつの舞台で果たしてきました。飛鳥時代に仏教や雅楽とともに中国大陸からもたらされた猿楽がルーツだとされていますが、約600年前、室町幕府の庇護のもとで日本人オリジナルのお芝居として隆盛を極めました。お芝居といっても台詞主体の喜劇ですから、舞台も登場人物も簡素です。
ほとんど何もない空間で、人間の生きる姿を体と声で表現します。それも毒をもって笑わせるのではなく健康的な笑いを楽しんでもらうというものです。つまり、ほんの少しの皮肉や些細な間の悪さなど日常における笑いを切り取って演じるわけです。現代のお笑いのようなスピードやニュース性には及びませんが、人間が持つ普遍的な笑いがベースです。ですからお客様はイメージを無限に広げることができるのでしょう。 |
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―今一大ブームになっている感がありますね。
野村 着物や伝統の所作が薄れてきている現代で注目されるのはうれしいことです。
狂言は「この辺りの者でござる」という冒頭の台詞で始まります。この辺りとはどの辺りなのか。それは商店の親父さんであり、どこにでもいる普通の人、あるいは動物、目には見えないけれど感じられる存在が擬人化され「今、このとき、ここにいる者」として登場します。
代表的登場人物は太郎冠者と主人です。つまり従業員と社長のような関係ですね。平素は立派なことを説く政治家や宗教者でも女性に恋して失敗したり、色男がおなかを空かしてお餅を盗むなど、私たち庶民と同じような人物の日常生活のひとコマが喜劇またはパロディとして表現されます。私は2年に一度のペースで海外公演を行っていますが、どの国のお客様も狂言を素直に受け入れ、大笑いしてくださいます。国内でも見直され、教育の現場で邦楽が取り入れられるようになったこともうれしい限りです。
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―なぜ福岡にけいこ場を構えることになったのですか。
野村 私の母は人間国宝・野村萬師匠の妹ですが、いわゆる直系ではなかったため、狂言を始めたのも小学校入学後でした。この道に進むか否か悩みましたが、とりあえず大学に入り、ほかにやりたいものも見つからなかったため(笑)、今日があるわけです。
福岡に本拠地を移したのは、一昨年44歳で急逝した八世万蔵の「九州に狂言を根付かせたい」という思いを受け継ぐため、そして九州という土地柄、人々の大らかさに魅力を感じたからです。今は九州各地に出向いて指導にあたっていますし、小中高、大学などから要請があれば、可能な限り朗読会や講話、狂言会などを行うように心がけています。おかげさまで狂言に興味を持つ若者や子供たちも増えてきました。東京にいたころよりずっと忙しい生活です。
私の活動によって、やがては後継者が育ち、狂言を愛してくださる方がもっと増えるのではないかと信じ、この地でがんばっていこうと思っています。
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